起源を探る

日本の家屋は大抵の場合座敷がありそこには床の間がある。 世界中どこにも類を見ないこの床の間。一見、無意味に思える空間だが 仏壇の起源はここからはじまる。 床の間は飛鳥時代、天武天皇の詔に起因する。 その内容は「三宝(仏・法・僧)敬礼のために仏間(床の間)をつくりましょう」というものなのだが、 日本の仏教は伝来以来、政治と深い関係があるので何かしらの政治的理由と言える。 床の間の違い棚(段差をつけてある棚)は、大乗・小乗それぞれの経文を区別して置くために作られ、 経文に虫がつかないよう香を焚くために香炉を置くようになったと言われる。 大乗仏教・小乗仏教とは大別した仏教の種類で、大きな船と小さな船に例えられて語られる。 大乗は万人を慈悲によって救うこと主張したもので、 小乗は自己の悟りを目的とした教えで、二つは相反する教えと言えるでしょう。
このように床の間の起源すなわち仏間の出発点がここにあります。 この時代には仏壇は存在せず「廚子(ずし)」と呼ばれる仏像のみを安置する、 いわゆる観音開きの小箱しかなかった。 しかし勅令とはいえ庶民に広く所有されるまでには至らなかったと伝えられている。
奈良時代から平安時代にかけて、仏教に対する熱心な信者が現われるようになり、 当時の文献に「仏壇」とゆう言葉があらわれるようになる。 もともと信仰として何かを家屋に奉るとゆう風習そのものがなかった一般庶民に 広がりを見せるのは平安中期頃からで、仏画を扱う商人が出現するようになり、 庶民の間でも仏画もしくは仏像を奉り先祖の位牌を安置するようになった。
江戸時代。急速に流布したキリスト教に幕府の力が及ばなくなることを恐れた家光は、 キリスト教の厳禁、鎖国令を発布する。キリスト教を禁ずる方法の一つに、 寺に対して檀家の把握を義務付け、容易に改宗出来ないような制度を立てた。 戸籍、住民票を管理してるようなもので、現在の市役所のような機能だと思っていいでしょう。 キリスト教厳禁だけのためではなく、確実に税金徴収する意味合いも含まれていたと考えられる。 さらに各家庭には仏壇を置くことを定め、寺と庶民の関係がより密接になっていったと考えられます。 もちろん仏教は政治的利用の道具とゆうだけではなく、 布教活動が目的であり、単に利害が一致したという感じでしょう。 政治的意味の大きさは否めないものの、今日、信仰心の有無に関わらず多くの家庭に仏壇があるのは、 この江戸時代からの流れと言えるでしょう。

仏壇とは何なのか

仏壇の起源を探ると常に政治色がつきまとい 「はたして現代に仏壇は必要なのか!?」と誰しも思うことでしょう。 仏教からすると、仏壇はあくまで仏に対峙する場であって先祖を奉る場ではない。 死者への恐れ、たたりなどを信ずるがゆえの仏壇。。。無意味です。 仏教に対して信仰心がない以上、仏壇も葬式も仏事も不要。 仏教に何ら関係のない大安や仏滅に左右されること自体がおかしい。 つきつめて厳密に考えると理にかなわないことばかりなのです。 概念にとらわれて、それに寄りかかって生きることはあまりにも虚しい。
信仰とは何なのか。仏壇とは何なのか。。。 何かをしたから救われるというものでも、死者のためにあるものでもなく、 日常を生きる者の心持ちの問題なのです。 人それぞれ持つ拠り所。。。それが携帯電話やパソコンや趣味などを含めた数多い中の 具現化の一つではないでしょうか。